小説版

第6話

「なるほど、話はわかりました。うちの娘がご迷惑をかけてしまったようで」

 ひなちゃんのお父さんは、コッコと鳴いて頭を下げました。

「いえっ、そんなこと。ひなちゃんはわたしを元気づけようと思ってやってくれたんですから!」

 わたしは慌てて否定します。

「いいえ。前々から不用意に力を使うなと教えてきたのに、この子ときたら調子に乗って」

「ふぐう……」

 お母さんの膝に座ったひなちゃんがうなだれます。

 わたしたちは、花火が終わってすっかり静かになった河川敷に並んでその時を待っています。もうすぐ、ひなちゃ
たちが家に帰るためのゲートが開くのです。

「そろそろ時間だ」

 お父さんはそう言って、虚空を見上げました。

 ゴゴゴゴゴ、と空気が震え始めました。何もなかった河原の空に、雲の渦のようなものが現れます。ぐるぐると渦巻
く雲の中心はまぶしく輝き、中にこの世界とは違う風景が見えます。

 黄金色に輝くそこは——まるで魔法の世界?

意外と比内地鶏の発祥の地、大館あたりなのかも。車で3時間くらいところの。

「さあ、ヒナチャン……」

 お母さんがひなちゃんを促します。ひなちゃんはお母さんに抱きついたまま、いやいやと首を振りました。

「さて、どうしたものか……」とお父さん。お母さんと顔を見合わせます。

「ひなはどうしたんだい?」

 ひなちゃんはチラリとわたしを見てから、お母さんにそっと耳打ちしました。

「ヒナチャンは、ミナセチャンとウドンを作りタイノデース」

「あー、ゆっちゃだめぇ!」

 ひなちゃんは恥ずかしそうに両手で顔を覆いました。だけどまたすぐにそーっと手の隙間から顔を出して言いました。

「おとうさん……。ひなもうちょっとこっちにいちゃだめ?」

 お父さんは困り顔です。

「ゲートが閉じてしまったら、またしばらく家には戻れなくなる」

 我々の故郷はもう、徒歩では帰れないのだ——、とお父さんは悲しい声でつぶやきました。

(・・・みんな、方向音痴だからかなあ)私は声には出さず家族の決断を待ちます。

 お母さんはひなちゃんを抱きしめて、頭をなでなでしました。

「ヒナチャンハ、ココヘイ来る時にモ、ずーっとミナセチャンの話をシテマシタ。ワタシもミナセチャンのウドン、食
べてみたいデース」

「そうか——。実は、わたしもそう思っていたんだ」

 お父さんは、わたしを見上げます。

「みなせさん、ひなのスープはそんなに美味しかったですか?」

「え? はい。それはもう天にも昇るような美味しさでした! 未だかつてない美味しさのスープでした!」

「なるほどなるほど」

 少し嬉しそうに頷きます。

「しかし、もし、このゲートが閉じてしまったら、わたしたちの家族はまたしばらく放浪生活になってしまうのです」

「うちに来ればいいじゃないですか。古いけど、大きさだけはあるから部屋余ってますし」

「三人もお邪魔して、迷惑にはなりませんか?」

「ちっとも迷惑じゃありません。むしろ来て欲しいです。そしてわたしのおうどんを食べて欲しいです!」

 空中に浮かんでいた雲のゲートが次第に光を失っていきます。渦巻いていた雲はだんだんと小さくなって、最後には
消えてしまいました。

「ゲート、閉じてしまいマシタネー」

 お母さんが言いました。

「仕方がない。ひなが残りたいと言っているんだ」

「いいの!」

 ひなちゃんが顔を上げます。

「ああ」

「やったー、みなせーまたいっしょにおうどんつくれるよ!」

 ひなちゃんは嬉しそうにわたしに抱きついてきました。わたしもしっかり抱きしめます。

「うん、つくろうね、ひなちゃん!」

 お父さんとお母さんとひなちゃんとわたしは、来た道をてくてくと駅に向かいました。ひなちゃんは途中で眠くなっ
てしまって、お母さんにおんぶされてすうすうと安らかな寝息を立てています。

 商店街に入ると、どこかでチリンと風鈴の音がしました。ひんやりとした風には、かすかに秋の気配が混じっていま
す。

「みなせさん。さっきのスープの話ですが」

 お父さんがわたしと並んで歩きながら言いました。

「はい?」

「あなたの理想のスープ作り、わたしにもお手伝いさせてもらえませんか?」

「え? もちろん、でも……」

 

 

「つまり——問題なのは、スープの味ではなく製法なわけですね」

 台所に並んだ、わたし、お母さん、ひなちゃんに向かってお父さんが言いました。

「幼女の残り湯。確かに一部のマニアには絶大な人気を呼びそうな予感もする。が、一般的ではない。そこで——」

 お父さんは、コンロに乗せたずん胴を羽でばっと指さしました。

「わたしが漬かろう。 柄ではないが・・・娘のために一肌脱ごう」

「えー」

 まっさきにひなちゃんが文句を言います。

「鳥ガラスープは一般的な食材だから問題ないだろう。もちろん、わたしはガラではないが。というわけで、とう!」

 お父さんは羽ばたいてずん胴の縁に飛び乗ると、お湯にぽちゃんと漬かりました。

「あー、いい湯だ」

「おとうさん、くつろいでるばあいじゃないよ!」

 しばらくして、ほっこり顔のおとうさんから香ばしい、いい匂いが漂ってきました。

「とう!」

 ずん胴から飛び出すと、そのままシンクに舞い降りました。ブルブルブルっと体をふるって水を払うと、
ひなちゃんに言いました。

「さあ、飲んでみてください」

 わたしは、おたまにすくったスープをひとくち飲んでみました。

「これは……あのスープ……ッ!」

 もう二度と飲めないと思っていたあの芳醇なスープが目の前にどーんとあります。

「これで、美味しいうどんを作ってみてください」

「は、はい!」

 

 

 あと数日で夏休みは終わりです。その貴重な何日かを、わたしはひなちゃんと一緒にうどんの新メニュー作りに費や
しました。

 テーマは「秋」。

 おじいちゃんは、夜遅くまで厨房にいるわたしたちに気付いているはずなのに、何も言いません。試されている気が
します。

「ひなちゃんは、どんな材料がいいと思う?」

「んーとねーんーとねー、たまごと、ぎゅうにゅうと、あとかっぱえびせんと、たべるらーゆと、ほっとけーき!」

「ん〜、単体ではわたしも大好きだけど。ちょっと混ぜすぎかな?」

「みなせは?」

「秋といったらやっぱり山の幸だと思うの。だからしめじとしいたけ。それに旬の里芋とレンコン。これに紅葉にくり
ぬいたニンジンと、鶏肉。どう?」

「なんかおいしそう!」

「えへへ、美味しいかどうかは作ってみないと分からないんだけどね」

「つくろう! ひなてつだう!」

「うん。じゃあ食材の買い出しにいこうか。ついでに晩御飯も。今日はみんなでカレーうどんだ」

「わーいわーい」

 お料理は材料が決まったらできあがりというわけではありません。きのこ一つとっても、酒蒸しにするかソテーにす
るかそれとも濃いめのお出汁で煮込むか。いろいろと迷うところです。

「ほっとけーきみっくすもかおう」

 ひなちゃんはまだ諦めてないようです。

 家に戻ってからまずは夕飯の仕込み。そして、ことこと煮えているカレーの横で、新メニュー作りです。

 しめじとしいたけはひとまず煮込みで作ってみました。しかし、できあがったものは、なんかごちゃごちゃしてます。

「そうか。きのこも根菜も鶏肉も白っぽいから、見た目のインパクトが弱いんだ……」

「ほっとけーきいれたらはでになるよ!」

「……アハハ」

 あ、でも。混ぜるのはいいかもしれない。

「そうか。ごちゃごちゃと並べるよりも、つみれにして、大きめに切ったごろごろ野菜の歯ごたえと、黄金色のスープ
を楽しめるようにした方が……」

 澄み切ったスープとそこに浮かんだ具だくさんつみれ。紅葉のニンジンはそのままに、緑の野菜で引き締めて。

「うん、見えてきた。ひなちゃんのおかげだよ!」

「ひなやくにたった?」

「うん。すごく!」

「わーいわーい」

 次の日、とうとうわたしたちの新メニューが完成しました。

 さっそくひなちゃんのお父さんとお母さんに試食してもらいます。

「あの、どうでしょうか?」

 つるつる食べている二人に、おそるおそる聞きます。

「おとーさん、おかーさん、どう?」

「トレメンデス! ベリーベリーデリシャスデース!」

「うん、我ながら美味い」

「商品になると思います?」

「そうだなあ。あとはたぶん、名前だな」

「え?」

「このメニュー、なんという名前で出す予定なのですか?」

「えと、今考えているのは『特製だしつゆの稲庭うどん』です」

「オーウ、地味! ダサい!」

 直球でダサい言われてショックを受ける私。

「うーん、それでは弱い。どうだろう、二人の名前をメニューにつけてみては?」

「ええっ、そんな。恥ずかしい……」

「みなせとひながつくったから、みなせとひなのおうどんだね!」

「ええええっ!」

「『みなせとひなの稲庭うどん』か。それでいいじゃないですか」

「それにしよう!」

「ええ……」

 でも、確かに、すっごく恥ずかしいけど「特製だしつゆの稲庭うどん」よりはいいかもしれません。

「じゃ、じゃあ……その名前で、いっちゃおうか、な!」

 

 

 

 とうとう運命の日がやってきました。

 今日は、おじいちゃんに新メニューを食べてもらうのです。この夏休みの間に、店の跡継ぎとして認めてもらえるよ
うなおうどんを打つという大きな目標の総決算です。

 朝からお風呂に入って、気合を入れました。

 お昼には、ひなちゃんと一緒におじいちゃんのおうどんを食べました。

 やっぱり美味しいです。丁寧な作りで、作り手のうどんへの愛情と食べる人への心遣いがこもっています。

 わたしの理想です。

 夜にお店を閉めた後、おじいちゃんを呼び止めました。

「あの、おじいちゃん。おうどんを食べて欲しいの」

「ん?」

「あ、あの、秋の新メニューを考えてみたの。『みなせとひなの稲庭うどん』っていう、食べてみてくれないかな? 
それで、もし美味しかったら、お店の新メニューとして検討して欲しいの!」

「新メニュー?」

 おじいちゃんはぶっきらぼうな態度ですが、今日の夜はまかないを少ししか食べていないのを知っています。わたし
のおうどんを食べるためにセーブしてくれているのです。

「すぐ作るから、座ってて」

 わたしは厨房に入ります。すでに、お父さんのスープは準備万端。つみれも仕込みを終えて冷蔵庫で休ませてありま
す。

 つみれはジューシィさを出すためにサラマンダーで表面を軽くあぶって焦げ色を付けてから煮汁で火を通します。そして精魂こめて作った手延べのうどんを茹でます。水に晒してぎゅっとしめたあと、黄金色のスープへ入れて、つみれとニンジン、シュンギクを飾ります。

「できた!」

 我ながら、すごくおいしそうです。スープ、おうどん、つみれ、すべてが完璧に融合した、わたしとひなちゃんのおうどん。

 おじいちゃんを満足させることができますように。

 うどんをお盆に載せておじいちゃんの前に運びます。お客様に出すように、お箸を前に置いておうどんを置きます。

「お待たせしました」

 おじいちゃんは無言で食べ始めます。心臓がバクバク言い出して、口から飛び出しそうです。

 うううううう、緊張するよう……。

「みなせ」

 いつのまにか横にひなちゃんが座っていました。ひなちゃんは、わたしの手をぎゅっと握って、元気に微笑みました。

 そうだよね。やれることは全部やったんだもん。

 とはいえ、やっぱり不安。おじいちゃんったら、食べる時無表情だからよけいに。もっと「むひょー」とか言いながら食べてくれたらいいのに。

 ずずっ。つるつる。ぱくぱく。ごくごく。

 完食。

 スープを最後の一滴まで飲み干して、おじいちゃんは箸を置きました。

「ふう」

 満足げな息をつきます。その割には、相変わらず眉間には深い縦ジワが二本浮かんでいます。

「ど、どうかな?」

 おじいちゃんは、じっと考え込んでいます。なんか、怒ってるような気もします。お店で出しているおうどんとテイストが違うすぎることに腹を立ててるんでしょうか?

 ううう。背中に嫌な汗がじっとり浮かんでいます。

 弟子である私にとって、師匠であるおじいちゃんの評価は絶対です。

 怒鳴ったりこそしませんが、事うどんに関して、おじいちゃんは絶対に評価をボカしたことはありません。 不味いものは不味い。足りないものは足りない。

 おじいちゃんにとって私は、かわいい孫娘ではあっても、うどん屋の跡継ぎではありませんでした。

 これは私がうどん職人になるための、最初にして最大の勝負。

 この日を乗り越えない限り、私はいつまで経ってもおじいちゃんの孫でしかなく、お店のいち看板娘でしかないのです。

「あ、あの、このスープ。鳥ガラベースでちょっと今までにない味でしょ? 稲庭うどんにすごく合うし、こういう意外性のある挑戦って大切だと思うんだ」

 不安のせいでいつも以上に饒舌になってしまいます。

 途切れなくしゃべってないとおじいちゃんが「まずい」って言いそうで。

「つみれには秋の味覚を集めてみたの。つみれにしたのはそのほうがスープをお邪魔しないかなと思ったからで、ほら、スープはこのメニューのポイントだから。黄金色ってのがまたハーベストって感じで秋に似合ってると思うんだ。紅葉みたいだし。オータム・イエローって言うじゃない?」

「みなせ」

 もう何が何だか分からなくなりかけていたわたしの言葉を、おじいちゃんの一言が塞ぎました。

「ひゃいっ!」

「これ、材料はどこで仕入れたんだ?」

「え……、ジャスコで。 特売で」

「ふーむ」

「あの、ジャスコじゃだめだった?」

「ダメに決まってるだろう。メニューとして出すなら、ぜんぜん量が足りん。三上青果に連絡して、揃えられるか聞いてみないとな」

「えっ……じゃあ?」

「とりあえず、一日限定二十食で出してみろ。正式メニューに加えるかどうかは、お客さんたちの反応を見てだな。 ウチは薄口の味付けが好きな常連さんが多いからこの味が受けるかはやってみんとわからん」

「出してもいいの? おうどん、美味しかった?」

 おじいちゃんは、少し照れくさそうに鼻をいじりました。

「うどん打ちの腕はまだまだだな。だが、客に美味いもんを食わせてやろうっていう職人のこだわりは感じた」

「う、うん」

「それに、こういう新しい発想ってのは、たぶんお前らみたいな若いのじゃないとだめなんだろう。このスープ、おまえとひなちゃんで作ったんだろ?」

「ん……うん、まあ……」

「美味かった。正直、目からウロコだった。こいつはぜひ、お客さんたちにも食ってもらわないとな」

「うんっ!」

 よかった・・・おじいちゃんに認めてもらった。

 初めておじいちゃん——師匠においしいって言ってもらえた。

 胸の中が充足感でいっぱいになります。

「じいじ! ひなのほっとけーきうどんもたべて!」

 ひなちゃんが台所から別のどんぶりを抱えてきました。

 うどんの上に、山もりのかっぱえびせん。そこに食べるラー油がふんだんにかかっています。そしてデザートのホットケーキが横向けに突き刺さっています。

「——!?」

 一瞬、おじいちゃんの顔が引きつったのが分かりました。しかしさすが大人。すぐに顔をほころばせて、ひなちゃんを膝に載せます。

「おお、ひなちゃんも作ったのか。偉いな」

「うん! じいじたべてー!」

「それがじいじはもうお腹一杯なんだ。年寄りはそんなたくさん食えねえんだ」

「えーせっかく作ったのに〜」

「大丈夫。みなせが食べてくれるってさ」

「えっ!」

 私に振るの!?

「みなせ、たべてくれる?」

 ひなちゃんがこちらを見ます。じーっと見ます。わたしはまだ大人ではないので、おじいちゃんみたいな美しいかわしができません。

「い、頂きます・・・」

「みなせおいしい? どう思う?」

「すごく・・・ホットケーキです・・・」

 ひなちゃんのおうどんは、辛くて甘くてエキセントリックな夢に出る味でした。

 

 

「稲川さーん! ここ、ここ!」

 行列の中から手をふっている菊池さんと清水さんを見つけて、わたしは驚いて駆け寄りました。

「どうしたの? こんなところで」

「決まってるじゃないの。噂のうどんを食べにきたんだよ。ねー」

「うん。ここ稲川さんのお店だったんだ」

「わたしは、手伝ってるだけで、おじいちゃんのお店なの」

「それにしても、ねえ」

 菊池さんがニヤニヤしながら、清水さんに目配せします。

「うん」

「え、なにが?」

「稲川さん、和服すっげーかわいいー、似合ってる!」

「えっ」

「大和撫子って感じ。あとで写メらせて」

「えっ、そ、それは……」

「ぐふふ、拒否ってもこっそり撮っちゃうのだ」

 二人の態度がいつも通りで、わたしは少し拍子抜けします。

「あの、この間の映画の時のこと……怒ってないの?」

「え? なんのこと?」

「なんかあったっけ?」

 二人とも、ポカーンとしています。

「あ、ううん。なんでもない。なんでもないの」

 ようするに、悶々と悩んでいたわたしが、考え過ぎだっただけのようです。

「みなせー、なにしてるの〜さぼっちゃだめー!」

「ミナセサーン! レシート切れましター!」

 ひなちゃんとお母さんが店の中から呼んでいます。

「あ、行かなくちゃ」

「行け行け。しっかり働いてこい! そしたらわたしらの順番も早く来るから」

「うん。待たせちゃってごめんね」

「気にしないで〜、評判のうどん楽しみにしてるね」

 そうなのです。限定二十食で出した「みなせとひなの稲庭うどん」は評判が評判を呼んであっという間に行列ができるほどの人気メニューになってしまったのです。

 わたしと柿本さんだけでは手が足らず、ひなちゃんとひなちゃんのお母さんにも手伝ってもらっています。

 要するに、大ヒットです。

 まだまだ日差しの強い秋空の下、大勢のお客さんがわたしたちのうどんを食べに並んでくれています。

「美味しかったよ」とほくほくの笑顔で言ってもらえると、本当に幸せです。

「みなせー。はやくはやく。おきゃくさままたせちゃだめだよー!」

「ごめんごめん」

 お客さんが待っています。

 さあ、がんばっておうどんを作ろう!

 皆さんもぜひ、わたしたちのおうどん食べにきてください!

挿絵イラスト:とーご
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