小説版

第4話

「ひえひえのおうどん、ににんまえ、おまちぃ〜!」

 ヒナちゃんがお客様の席につやつやのおうどんを運んでいきます。

「おいしそう〜」という声ににんまり。

 はい、美味しいんです! だっておじいちゃんが手塩にかけて延べたおうどんですから!

 ——心の声ですが。

 相変わらず、ここ一番で勇気が出せないわたしです。

 この間もひなちゃんに助けてもらいました。

嫌なお客さんに大声で怒鳴られた時、わたしは怖くて心が折れそうだったのに、ヒナちゃんは少しも億さずにわたしを守ってくれたんです。

 あの時お店にいた人たちの心がひとつになって、感動でした。

 ああ……思いだしたら、ニヤけてきました。いけないいけない。

 夏休みは毎日お店でバイトです。

 ホールはエアコンがきいていますが、厨房と店の外は地獄の暑さです。着物を着ていると、特に。

 でも、笑顔は絶やしません。

 たまに、団体客の方に記念撮影させてと言われることがあります。思い出の一枚には最高の笑顔で写りたいです。

 プルプルプル、と携帯のバイブがメールの着信を告げました。

 空いたお皿を厨房に戻したついでに、お客様に見えない位置でこっそりチェック。

 なんだ……お母さんからでした。

 わたしのお母さんは、観光協会のうどん大使のお仕事をしています。具体的には試食用のうどんを持って、全国や時には世界を旅しています。

 メールには写真がついていました。

 おかあさん、せんとくんと肩組んでガッツポーズしてる。元気そう。

 でも少し残念です。もしかしたら、菊池さんか清水さんからのメールかもしれないって思っていたので——。

 夏休み前、菊池さんと清水さんをうどん弁当攻めにしました。謝ると、二人とも「気にしなくていいよ〜」と笑ってくれました。

 でも、終業式に挨拶してから、一回もメールが来ません。じゃあ自分からメールしろよ、と。まあそうなのですが。そんなに簡単にメールできるような性格なら、友達ができないって悩まないと思うんです。

 何度も出そうとは思ったんです。でも「やほ〜」っていうほど親しいわけじゃないし、かといって「お元気ですか?」じゃあ改まりすぎてヘンな人だし。「わたしのこと覚えてますか?」じゃなんか卑屈で引かれそうだし。

 そうこうしている間に夏休みはどんどん過ぎていくわけで……一ヶ月後には「あんた誰?」って言われそうな気がします。

 ああ……今日も焦りが+1。

 そんなわけで、——とりあえず、仕事に戻ろう。

 プルプルプルと、またしても携帯が震えました。もうお母さん、そんなにせんとくんに感動したのかな?

「あっ!」

 思わず大声を出してしまった私を、店中の人が注目しました。

「あっ……いえ、……なんでもありません。お騒がせしましたっ!」

 大慌てで謝ります。でも心臓はバクバクいってます。

「みなせ、どうしたの!」

 ひなちゃんが駆け寄ってきました。ひなちゃんは先日の事件以来、わたしを守ると決めたようで、ピンチを感じるとすぐに飛んできます。でも今はピンチではありません。どちらかというとその逆?

 飛んできたひなちゃんも、わたしのニヤけた顔を見てドン引きです。

「みなせ、がんめんほうかいしてるよ」

「ひなちゃん聞いて! メールが来たの! 清水さんからっ!」

「へ?」

「映画のタダ券あるから一緒に行かないかって、行かないかって!」

「ただけんいいじゃん! ひなただけんだいすき!」

「そうだ、返事しなくちゃ! えっと、もちろん行きます、でいいかな」

「ごーごー!」

 ひなちゃんに応援されながら、あたしは震える指で返信メールをうちます。

 ああっ、焦って逝きますで確定しちゃった! おちつけわたし!

 映画を観た後は、甘いものが食べたいという菊池さんの提案によって、菊池さんおすすめのクリームチーズケーキを食べに行きました。

 真っ白いクリームチーズがふわふわのスポンジケーキにたっぷりのっていて、確かにこれは美味しい。こんどひなちゃんも連れてきてあげよう。

「さっきの映画さー、あの主役の男、かなりキモイね」

 食べながら、菊池さんが言いました。清水さんは、この言葉が気に入らないようです。

「え〜、そんなことないよ」

「僕に関わると君にも呪いが掛かる。僕は孤独を宿命づけられているんだ、とかなに自分に酔ってんだって感じじゃん?」

「かほちゃんいつも、あたしは守られキャラだって言ってるくせに」

「だって〜、あいつキモいよ、なんか顔色悪いしさ」

「三千年生きてる吸血鬼なんだから、顔色悪くてもいいの!」

「その設定がまたキモい!」

「原作は、あっちじゃベストセラーなんだよ! すっごいロマンチックなんだよ!」

「だってさー、あいつヘタレのくせに、ここ一番だけかっこつけるんだもんな〜」

「そこのギャップ萌えなんだよ」

「あんたは単にあの主役の男優が好きなだけでしょ。ジョンなんとかっていう」

「ショーン・ヒューストン! もう、いい加減覚えてよ!」

「稲川さん、この子の部屋行って見てよ、ポスターベタベタ貼ってあんだよ」

「お好きなんですね」

「好きっていうか、信者だよね」

「稲川さんにも今度DVD貸してあげるね。今日もかっこ良かったでしょ?」

「え……ええ」

「言っちゃなんだけどさ、ちょっと線が細すぎない? あと眉毛が!」

「眉毛のことは言わないでっ」

 清水さんが耳を押さえます。

「ぼーぼー!」

「きゃあああ! あっちでああいう眉毛が流行ってるの! ファンだって辛いんだよ! ファンだって辛いんだよ!」

 まったく話についていけません。半笑いが顔に張り付いてしまいました。

 えっと……わたし芸能関係には疎いので、なんだかついていけないノリです。

「ねえ、稲川さんはどう? ああいうタイプ。絶対にライバルの魔法使いの方がいいよね」

 菊池さんがいきなりわたしに話を振ってきました。

「えっ、え、ええ……」

「だよね!」

「えーそうなの? 稲川さん、あっちがタイプなの?」

「え? ……えっと……」

 菊池さんが私の手をとって、ぐっと自分の方に引き寄せます。

「稲川さんはあたしの味方っと」

「え〜」

「えっと……あの……え〜っと……」

 よく冷房がきいたお店なのに、背中が汗でじっとり湿っています。想像していたよりも、難しいです、女の子の会話。

「稲川さんってさぁ、どうしてそんなに自信ないの?」

「え?」

 急に覚めた声で言われて、ドキリと心臓が跳ねました。

「なんかさぁ、あんまり卑屈だと自意識過剰じゃないのって思えてくるんだよね」

「わたし、そんなつもりは全く……」

「いや、分かってんだよ。でもさぁ、そう感じる人もいるってこと」

「ご、ごめんなさい……」

「いやいやいや、謝れって言ってんじゃないよ。ただうちら同じクラスなんだしさ、もっと気軽にいこうよと」

「そうだねぇ、友達なんだし、もうちょっとちゃんと自分の意見も出した方がいいと思うよ」

「すみません……」

 そうですよね、なんだか良く分からないけど横に座ってニコニコしてるだけで、何を聞いても「どっちでもいいです」とか「はい」しか言わない子なんて、不気味ですよね。

 でも本当に何を言っていいのか、全然わからないんです……。

 別れ際には二人とも「またね」と言ってくれましたが、わたしの笑顔はたぶんひきつってたと思います。

 どうしてこうなんでしょう。

 ただ普通にしたいだけなのに……。

 みーんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみん。

 セミがうるさい。

「はあ……」

 時々額の汗を拭いながら、店の前を掃き掃除です。玄関はお店の顔なので、常に綺麗にしておかなくてはなりません。

 空はどこまでも青く、お日様は燦々と降り注ぎ、セミはうるさい。

 なのに——今回は中々浮上できません。

 あれからまたメール来てないし、夏休みだから顔を合わせる機会もないし、ひょっとしたらもう嫌われてるかもという強迫観念に日々苛まれています。

 そういえば、ここのところひなちゃんもなんだか忙しそうで、あまりわたしのところに来ないような。

 なんだか、寂しい……。

「みなせー! みなせみなせー!」

 あら。前言撤回のようです。ヒナちゃんがお椀を手に走ってきます。お椀は、お味噌汁用の黒い塗り椀で、中に入っているスープをこぼさないように注意しています。

「みなせー、これ飲んで!」

「なあに、これ?」

「みなせがげんきがでるすーぷ!」

「へえ」

 受け取ったお椀には澄んだスープが入っていて、ほわほわと上がる白い湯気からなんとも香ばしい美味しそうな香りがします。

「どうしたのこれ?」

「ひながつくったの。のんでのんで! げんきでるよ!」

 ひなちゃんにすすめられるまま、わたしはスープをこくんと口に含みました。

 うわああああああああ……。

 いきなり目の前で、迦陵頻伽(かりょうびんが)のラインダンスが始まりました。まるで、ハス咲き乱れる極楽をそのまま濃縮したような。

 スープを嚥下(えんか)したあとの多幸感と飢餓感が、複雑なコンチェルトとなって私の体を突き抜けていきます。

 黄金色のスープは、香ばしく濃厚なコクがありながら、油こくもしつこくもなく、まるで日差しを受けてどこまでも光り輝く海のように、ほのかな塩味とどこまでも深い味わいが混ざり合い溶け合って生まれるミクロコスモス。それはもうこがね色のビッグバンと言ってもいいくらいに——お・い・し・い・の・で・す。

「みなせ、だいじょうぶ? めがいっちゃってるよ!」

 気が付くと、ひなちゃんが心配そうな顔をして、わたしの目の前で両手を振っていました。どうやら軽くどこかへトリップしてしまっていたようです。

「ひなちゃん、これすっごくすっっっっっごく美味しいよ!」

「えへへ〜」

「これほんとにほんとにヒナちゃんが作ったの?」

「うん」

「どうやって作ったの? これ売れるよ、商品になるよ——ー!!!!」

 その時、さらなるビッグバンが私を襲いました。まるで一億ボルトの雷が、落ちてきたみたいな衝撃と共に、その商品が突然頭にひらめいたのです。

「これ、おうどんに合うとおもうの。みなせのうどん食べた時からずっと思ってたの」

 くせがなく、つるつると食べやすいのにコシがある稲庭うどんと、コクがあって芳醇な味わいなのに少しもしつこくないこのスープは、まさに黄金の組み合わせです。

「わたし、ちょっと作ってみる。ひなちゃん、このスープまだある?」

「あるよ〜」

「うどんを、うどんをゆでるから、食べてみて!」

 わたしは走りました。

 まるで——そう、うどんの神様に導かれるような勢いで台所に飛び込むと、すぐさまうどんをゆで始めます。

「み、みなせ……おかおがこわいよ」

 スープを持って戻ってきたひなちゃんは、鬼気迫る形相で鍋の前に立つわたしに気圧されています。

「しずかに!」

 仕方ありません。だって、いま、わたしはオーラ200パーセントです。

 ぐつぐつと煮えたぎるお湯の中で踊るうどんを、額から流れ落ちる汗をぬぐいながら、箸で掬いあげます。ひと噛み、味見。よし!

 ざるに上げたうどんを水に晒してぬめりを取ります。そうしてきゅっと締めたうどんを改めて軽く温めてから、ひなちゃん黄金スープに、投入!

 できあがりました。

 ネギを散らしただけの素うどん。

 でも、見なれたしょうゆベースのおつゆではなく、黄金に輝く半透明のスープに入った稲庭うどん。

「ひなちゃん、これたべてみてっ!」

 どんぶりをひなちゃんに差し出します。そして自分のどんぶりと箸を構えます。

 つるりん。

 つるつる。

 ちゅるん、つるん、つるつる、ずずー、ごくごく、つるつるごくごく、つるつるごくごく、つるごくつるごくつるごくつるごく。ごっくん。

 最後のスープを飲みほした後、わたしはどんぶりを持ったまま、しばし呆然と立ち尽くしていました。

「——ひなちゃん、これ絶対に売れるよ。おいしいもの。これでメニューを作って、おじいちゃんに食べてもらうの。そうすればおじいちゃんも、認めてくれるかも」

「ひなのすーぷでめにゅーつくるの? すごい! やりたい!」

「やろう! わたしわくわくしてきたよ」

「みなせげんきでた?」

「もう出まくりだよ!」

「よかった〜」

「ねえ、ひなちゃん、このスープどうやって作ったの?」

「えへへ、しりたい?」

「うんっ! お願い、教えて」

「こっち」

 ひなちゃんは、とととと家の奥へ走って行きました。わたしは良く分からないままついていきます。あれ、でもそっちはお風呂なのに。

 わたしが着いた時、ひなちゃんはお風呂のふたを外したところでした。ふろがまの中にはお湯ではなく、あの黄金のスープが入っていて、ほかほかと香ばしい湯気をたてています。

 

 え?

  

 なぜお風呂が、スープでいっぱいなの。

「さっきのあれって、これ?」

 わたしは湯船の中でたゆたう黄金のスープを指さしました。

「うん。あのね、ひなね、あつーいおゆにつかると、おいしいすーぷになるの!」

 ひなちゃんはふろがまの前に立つと、自信満々に胸を張って言いました。

「え? よく、意味が分からないんだけど……」

「ひなのまほうなの。ひながおゆにつかって、あついのじーっとがまんすると、すーぷになるの。前にひなせんとうのゆをすーぷにしたら、おかあさんにおこられたよ」

「お風呂の湯? さっきの?」

「うん! だからみなせのもちょっとまじってる」

なんということでしょう。

「ええええ……、の、飲んじゃったよ、わたし。全部飲みほしちゃったよ!」

 たった今まで脳内を踊りまくっていた迦陵頻伽が、一斉にどこかへ飛び立ってしまいました。代わりに「ふ・ろ・の・の・こ・り・ゆ」という七文字が、ずーんとわたしにのしかかってきます。

「これおきゃくさんにだせる?」

「出せるわけないよ! こんなのだめだよ、お風呂の残り湯なんて」

「どうして? ちゃんとつくるとき、きれいにあらったよ!」

「洗ってもだめ!」

「どうして? ひなきちゃなくないよ?」

「お風呂のお湯だよ! そんなの人に飲ませちゃ駄目でしょ!」

「どうして? みなせおいしいっていったよ!」

「それは知らなかったからだよ」

「ならひみつにしちゃえばいいよ!」

 確かにそうだわ!

 あ、いや、やっぱりダメよ。 

 ぐらりと、一瞬心が揺らぎました。 ひなちゃんおそろしい子……。

 でも、あんなにおいしいスープだもの。秘密にしておけば、誰も……。

「ううん、やっぱりだめ!」

 私ははっきり言いました。

「どうして?」

「お客様を騙すようなことできないよ。お客様はお店を信頼して食べにきてくるんだから、そんなお客様にお風呂の湯なんか出せないでしょ?」

「どうして?」

「とにかく、だめなものはだめなの!」

 ひなちゃんは、頬を朱に染めて目に涙をためながらも、頑として譲りません。

 信じられません。ひなちゃんはすごく賢くて、頼りになって、見習わなきゃって思うくらいしっかりしている子なのに、どうしてこんな簡単なことがわからないんでしょうか。

 ショックです。せっかく、あんなにおいしい夢のスープを見つけたと思ったのに。こんなんじゃおじいちゃんになんて話せるはずがありません。

 がっかりです……。

 せっかく、みんなを驚かせるすごいスープができたと思ったのに。

「みなせちゃん! ひなちゃん! いるの?」

 台所の方から柿本さんの声がします。少し慌てているような声です。ひょっとしてお店が忙しくなってきたんでしょうか?

「あ、います!」

 わたしは返事をして台所にもどります。台所の隣のお勝手につながる土間に柿本さんがいました。やっぱりひどく慌てているようです。

「どうしたんですか?」

「たいへんよ、来たのよ!」

「お客様ですか? すぐ私もお手伝いに—ー」

「違うわよ。ひなちゃんのお母さんが今、お店に来てるのよ!」

挿絵イラスト:とーご
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